教育小話 小学教師


足利 羊我生



身には七つ下りの色半褪めたる洋服を纏ひ減り果てたる草履の下駄を穿ち弁当片手に洋鞭つき一里有餘の田圃路を日々通はる有様何人の眼にも拾両取が関の山の俸給に衣食する人としか見えず
斯く其身には柳原式の古物をつけ和洋折衷の容態なれば何業にせよ餘り上席の者とは見られぬも止むなきことされど其相貌を見ると威厳の備りて氾すぺからざるの風あり心の快晴は其眉宇の間に表はれて羨し年頃は三拾位と思はる兎に角其共育ちも非常に下賤の者とは思はれざるなり、
雨の降るる朝風の吹くタも物ともせず寒暑を凌ぎて一日も欠くかさずに何時も同時刻に往復せらるるは斯道に熱誠の人らしく其道々の人も窃に其熱心の程を噂するも道理なり、
この噂を耳にしたる物数奇男は其好奇心にかられて如何なる人か知りたく思ひ居りしに幸ひ用事のありてOO地に行きたれば序に近所の者に聞いて見んものとて一寸した茶屋に入り腰を掛け草臥れ直しにお定りの一本とかけてもらひ手酌も時にとりては却て宜しきものと合貼しつヽ一杯一杯と傾くる中酔も五体にまはりて何となく愉快となりそろそろ其聞かんと思ふ事につきて緒をきりぬ、
「時に御亭主ここら辺より毎日東の方に向ひ通ふ洋服姿の先生らしき男はありますか」と、
酒のきき味に忽ち呂律神を乱せるロ調にて問ひば主人は少しく会釈してさも得意顔となり、
「ありますとも、、、それはこの五六軒先に住はる先生にて数年前までは当地の学校に奉職し村民の信用も深かりしかども儘ならぬはお役人衆の身の上とて遂にOO地に御栄転となり日々通はる 事です」と、
語らるヽ其尾につけ入り
「一体彼のお方は何の為めに彼地へ御転居にならず当地に居てわざわざ通はる 事です」と、
更に間はれて、
「何でもこの土地の人も非常に惜しみて引き止むると奥様やお子様がなれた所とて御転居になるを忌む為め先生も其心になりてお通ひになる事別に何の理由もある事ではありませんよ、、、それにあなた彼の先生は一見した所仕度も何もおかまひなく六ケ敷様子なれとそれは至つて人の世話好きでやさしき人ですよそれですからこ らの人も大層信用して居りますし又家庭も至つて愉快に平和にお暮しの様に見受けられお羨ましく存じます」、
聞き得たる男はさも感心想な顔つきをしながら、「あ 彼の学校に出る先生ですか何でも彼の学校も数年前では村の非常に八ケ間しきためか永く居りし人はありませんかつたが此度の先生が来てからは至つて平和に波風もたヽず大層能くおさまり自然学校の成績もあがり村民も喜び居るとの事と聞きました、、、あの人がそーですかそれではOOさんですね」と、
可笑しき顔つきするも無理ならず常の服装あまりに見にくく足利の着倒れの風に染み眼には三文の価値もなければなりさればこの地の小学教師はこの風を真似て柄にもなき服装に身を飾借財の為め前途の立身を犠牲に供し妻子飢に泣くの惨状を招くものなきにあらず、、、鳴呼小学教師たる人其収入の額と適当の支出に充て徒らに俗者の悪習を模倣すべき腑甲斐なき事をなして後悔なすなかれ、
主人はこの言葉に和して
「総て何業でも熱心にやりて成績のあがらぬ事はなく又人より好評を得ぬといふ事はありません私の様な賎しき二文商ひをなしても矢張同様ですよ」と、
この主人少しは物の理もわかる如才なき者と見えてすかさず自分の事まで例にひきて語り出しぬそんな聞く耳持たぬと空嘯くわけにも行かねばさも殊勝気に聞き流し其語のきれるを持ちて一つほめて喜ばしてやらんと、
「なんでもこの辺で一番評判のよい茶やはこ の家だとの話ま事づ御勉強が大事ですよ」、
これと聞いたる亭主は非常に喜ばしきことて愛嬌を顔に浮かベながら「どーもおほめ下さいまして誠に有難く存じます此後とても御引立の程御願ひ申ます」と、
聞きたき事は全くよそ事となり丁度茶やの主人の御機嫌伺ひにても来たかの有様となりたれば更に言葉の調子を改めて、
「世間では何も知らぬ者は学校の先生といふといやに軽蔑しますが全く先生よりもいらいものは世の中にはありませんよ西も東もわからぬ子供等を能く教へて下さります事私も一人の息子を此春より学校にあげ実に其有難い事には恐入て感心して居りますよ」、
これを聞たる主人は一層力瘤を入れて、
「そーですとも先生程いらいものはなく有難いものはありませんとも未来の東郷さんでも大山さんでもお手の中の工合一つで造る事が出来ますものあんな面白い業は又とありませんねお近所に居らる 先生も常にそー申しますよ沢山に金儲けをして衣食の美を尽さんとの悪心なきものにはこれより面白い職業はなく三日すれば止められないほんに乞食の様だと申して私を笑はせました事がありますよ」、
「左様奇麗な着物を着たけりや俳優にでもなれば出来るしお金を沢山儲けたけりや商人にでもなれば出来ない事はないが人より先生先生といふて真に尊敬を受くる事はありませんとも」、
「ああ学校の先生程面白い事はない私もなりたいけれど年はとる学問はなし何とも詮方ありなせんが息子は必ず教員に仕込むつもりで心がけて居りますよ」と、追々話に花が咲き実が入り帰へる時刻を忘れ何時の間にか日暮れとなりたれぱ驚き勘定を払ひ帰途につかれぬ、
日暮れて物の黒白漸く判然なす頃意気揚々として靴音高く洋傘つきつ 帰へり行く人こそ二人の話題に上りし、、、、其人なり、、、、赤城山より吹き下す西風は勢益々高し、
X X X X
鳴呼村民挙つて其教育に熱注し一挙一動己れの欲する所となる地にありて理想的に有英の業に従事し楽しむ事を得ば王侯将相の栄誉も何の物かは、、、、前途の世椀吾人の手腕を待つものヽ如く見えて愉快なり、


最初のホームページへ
インデックスへ