小説 島の女教師


埼玉県北埼玉郡村君尋常小学校 田口紋子




 白絣、紺絣、縞などの着物着た子供五六人、皆帽子かぶつて海岸の方へと急ぐ。その後から又七人許、女の子供が行く。平和な島の昼閑かに、彼方の岩角に鳥の飛び立つ音がした。
「五時頃と書いてあつたんだからだ早いね」
 でつぷりと、ふとつて居る十四位な、紺絣がいふと、
「いや、早いほど好い、先生を待たせちや、すまないから」
 浪音高い太洋の一寒村の、村に生れて村に死すといふ、呑気な生活に馴れた子供が、今日はどうしたのか、意気高う海岸へと急ぐ。砂路だからなかなか歩きにくさうだが、島育ちの彼等は、何とも思はぬらしい、愉快げに語りながら、唯急いで居るのである。
 奇形な岩の突出した下に小屋がある、彼等男女の子供等は細道をたどつて、小屋の前に来た。小屋には誰も居ぬ。唯腰掛が一つあるだけ。そのとき水際に話声がして、上つて来る様子、持つて居ると、それは先に迎へに来た、同じ仲間である、十歳位から十四五歳までの五六人。
「まだ見えないよ、僕等は昼飯食ふてすぐ来たから、侍遠でね」
 年高たのが言葉かけると、
「五時つてんだからな、」
 楓の形のついてゐる、浴衣を着た一人がいふ、
 話最中に、小屋の主人が来た、四十六七の正直相な爺で、にこにこ笑ひながら、
「今先生様を迎へにいつて来るよ、待つて居なせえ」
「そ……もう来るの、船が?」
 彼等はよろこび声を放つた。そして一度に水際へ行く。
 爺は巧みに、舟をあやつりながら、浪の中に消えた。子供等は無言で沖の方を見詰める。
「やつ、見えるツ!」
「先生!」
 異口同音に聲を出して、はるか向ふの舟を呼ぶ。舟は一人の婦人を乗せて、ゆられながら岸へと近よる。
「河野先生!」
 彼等は又叫ぶ。婦人の顔が鮮明に見える。笑つてゐるらしい。
「待つてました」
 舟は着いた。子供等は皆帽子をとつて目礼する。婦人は
「しぱらくでしたね皆さん連者で結構」
 見る眼涼しく近よる子供等を見まはす。
「僕がこれを」
「あたしがこれを」
と、手荷物を持つて子供等は先生を、とりまきつつ、がやがやと細道をたどつた。一箇月が間、故郷の山川に親しんだ河野先生は、今日また楽園さして向つて来たのである、
 九月が待ちどほしいといつた俊さんも、この中に居る。楓の浴衣は、俊さんであるのだ。たゞなつかしうて、先生の顔ぱかり見あげて居るのがいぢらしう、先生も何となくゆかしいのであらう。
 此の島にしてはよすぎると思ふ程の建物が、一つ立つて居る。九月一日の始業式で、島の児童は元気よく門を入る。校長は学問といひ見識といひ、内地には得難い人物とのこと、運動場に校長の姿を、見ない日はないといふ、今日も子供相手に校庭をめぐつてゐる、児童の品性を直すには、児童に接しなければならぬ、教室で尊大ぶつて威信を保持した積りで、一度も児童に接しない先生は、何所か欠けたところがある。庭に於て赤裸々なる児童の心理をたしかめ、それに適する教育法を執つたならぱ、必ず美しい成績が得られる。現に実行主義を唱へて、校長以下四人の部下も皆行ひつつある。此の学校長にしてこの生徒あり、この校長にしてこの先生があると、人もいひ我も信ずる。部下四人の中に女教師が一人、それはいはずもがな門のそぱへ来た校長は、一寸立ちどまつた。児童はばらばらとはなれて落ちてゐた紙屑を拾ひ、直ちに西へ走つた。にこにことして出で来る児童の肩をおさへて、
「御苦労御苦労」
 見れぱ眼光烱として、痩身の偉丈夫である。短身ながら、主義ある教師と見うけられる。
「昨日河野先生を迎へにいつたんです」児童の一人がいふ。
「あヽさうですか、何か内地の面白い話しでも聞いたかね」
「皆に少年世界一冊づつ呉れたんです、今月のを」
「少年世界を、それは面白い本だね」
「明日持つて来ます」
 そのとき女の子供と河野先生が見える。
「先生一緒に鬼事しませう」
 俊さんが飛んで来た、それで女も男も一緒に、ぢやんけんをして校長が鬼ときまる。校長は俊さんを追ふ。俊さんは一心に逃げて歩いてゐたが、遂に補へられてしまふ。今度は河野先生を俊さんが、追ひはじめた。ワアワッといふ、さわぎの中にべルがなつたので河野先生は立ちどまると、俊さんは、飛んで来て先生の肩にすがつて、
「先生が鬼ですッ」
と勢ひがよい。先生は、ふりかへつて微笑んだまヽ、俊さんの顔をのぞき込み、
「ハイ鬼です」とやさしい。
巧言飾辞を弄せずして、堂々と己が信するところを述ぶる校長は、たしかにえらい人である。而して又この部下四人を得る。どうして善良なる児童を産まざるを得よう。静粛なる式は終る。児童は以前の快活なるものとなつて、校門よりあふれ出た。
楓形の浴衣を着た俊さんは、門の側に立つて玄関の方を見ては、後をふりかへりしてをる。そのとき河野先生は、微笑みながら出て来て包をわたし、
「それぢやこれを持つて行つて下さい」俊さんは受けとつたまヽ帽子をとつて、目礼して東へ歩む。
河野先生は飽かずその後姿を見詰めた。
白い帽子の俊さんは、角へ行つて一寸ふりかへり又貝礼する。

「碧蹄館外明軍来襲すーー」、俊さんの聲であるので、教員室に、筆を走らせてゐた河野先生は、そつと窓の方を見る。莞爾とした俊さんは、持つてゐた花を捧げて目礼した。先生はすぐ立つて窓ぎわへいくと、
「くれるの?」
花を捧げ持つ、黒い瞳の俊さん。
「えゝ今来るとき折つたばかりのです」
「ありがたう」
俊さんは一目散に教室の方へ走つた、
「それは好い花ですね」
男教員の一人がほめる。先生は瓶に生けた。
「先生出て下さい」
窓ぎわにやさしい女の子供が六七人、来て待つてゐたので、
「ハイ、今出ます」
といつたなり室を出て庭へ出て庭へ出る。彼方からも此方からも、先生!先生!と集つて来た。中に立つ河野先生は、満足げに皆の顔を見おろした。
あヽ河野先生は幸福なる人である、児童の為ならぱ身も世もあらぬほど尽して見たいとは、この先生の口癖であると、他の先生の評。全く河野先生は、児童のために寝食を忘れてゐる人である。あヽ多幸なる女教師!!。


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