殖民世界発刊の主旨(一巻一号) 高橋山民 神武天皇紀元以来茲に二千年、金甌の国無欠り土、未だ一度だも他をして、指を其邦土に染めしめず、 人は勇に、地は豊に、進取の気、邁往の性、内に傍白して、而して外に向かひても強堅、鉄石り如きの慨 ありしもの即ち我が島帝国日本にあらずや。 然るに何事ぞ、徳川氏三百年間の鎖国主義は、著るしく、我帝国民の膨張的性格を圧迫し、之をして地 中の伊乃木と化せしめ、之をして井底の痴蛙たるに至るらしめぬ。 噫々、吾人今よりして之を懐ふ、誠に涕涙の滂沱として雨下するを禁ずる能はざるものあり、然れども、 既往は遼遠にして遂ふべきにあらず、請ふ現在の立脚地より観て、我国の将来を論ぜん。 維新以後文明の潮流は、駸々として奔馬の如くに我が島帝国を侵し来りぬ。是に於いてか、従来昏とし て桃源の裏に惰眠を貧ぼり居るたる我帝国民も、到底既往の如き、安逸をのみ擅にしてあるべきにあらず、 奮然蹶起、天の一方を睨んて、平和的大戦争に従事せざるべからざる事と為りぬ。列強を対手として、兎 も角も我の面目を保持せざるべからざる事とは為りぬ。 其結果として現れ来りし所の現象は何ぞ、日く西欧文物の研究、日く商工業の勃興策日く陸海軍の振起 策日く郵便文通機関の整備日く司法制度の取調日く何日く何、殆ど枚挙に暇あらざらんとす。 然り而して我国の獲たる所の物は何物ぞ、司法の制度や郵便交通の機関や、商工業や西欧の文物や、之 を既往に比すれば大に発達進歩したるに相違なきも而も我国民の今日に於て世界に誇り得べき物は只一つ の陸海軍あるのみにあらずや。 国内の状況如何と顧れば、人口は日々に増殖して人々職を獲るに窮し、物価は月々に騰貴して、萬衆生 計の困難を訴ふ、限りあるの地に、限りなきの民庶、群集して一欒の肉を争ふにも似たり、是れ豈経生家 たる者の大に着目すべき所にあらずや。 翻つて海外の地を観ば如何、萬里の郊野徒に横りて、人の来り耕さんことを俟ち、千里の長江空しく流 れて、我の来りて其岸に商工業の旗を翻さんことを待つ、噫葡萄の野、橄檻の山、世界到る処に未墾り富 源はあるに、我国民が徒に島帝国裏に跼蹐して、日々只天を仰ぎて、長大息するのみなるは何ぞや。 倩々思ふに、欧米の先進国は皆平和的戦争に向つて汲々たり、殖民を世界の各地に送りて、其富源の開 発に努め、未開野蛮の人民わして文明の徳沢に浴せしむると共に、其富源の甘味を己に吸収するに努めつ ゝあり、我が帝国民たる者、其富、彼に及ばざると遠ふして、而して徒に彼等の甘味を吸収するをのみ傍 観し居るが如きは抑も迂愚の極にあらずや。 或る学者は説を為して言ふ、今日我国の人口五千萬中其二千萬人丈は之を海外に移住せしむるも、何等 の差支なしと、余輩も亦此説に賛同するものなり、見よ今日我国に於ける実業界の状態を、我が農民の多 数は尚ほ神代に用ゐたる物と同じきが如き鎌と鍬とを以て其田野を耕作し居るにあらずや、我が商工業者 の多数は欧米の劣等国民すら為さゞる如き迂遠なる方法を以て其経営を為しつゝあるにあらずや、是等の 国民をして、文明の機械を応用せしめ、文明的の方法を以て其業務を経営せしむれば、現在人口の半ばを 以てするも尚且本土の事業を繁栄せしむるに足る、況んや三分の一の人口わ駆つて、之を海外に勤労せし むるが如き、何の難きことか之あらん。 首を回して観よ、満州の地、韓国の土、南米の渓野及我が新領土たる樺太台湾の如きは皆我邦人の来つ て移住せんことを鶴首して待ちつゝあるにあらずや、其他の諸国、譬へば支那本土の如き南洋の諸島の如 き濠州のごとき又皆我国民の来つて貿易に従事せんことを切望し居るにあらずや、是等の要望到る処に盛 んなるに係はらず、我が国民たる者、尚ほ鎖国桃源の夢に酔うが如き事あらば、我国は永く那落の奥底に 沈淪するの外なきなり。 噫時は来れり、我が国民が殖民すべきの時は来れり、活動の時は来れり、盛くに海外に活動して島帝国 の富力を増進すべきの時は来れり、余輩は茲に時勢の要求に応じて本誌を発刊す、若し之に拠りて、我が 帝国民が武力的戦争に依らず、平和的戦争に依りて、欧米の列強に劣らざる富力をばいようするの一助と もならば、何の幸慶か之に如んや。